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森田 恒友

森田の本家は埼玉県熊谷市にある。
その本家に明治の終わりから昭和の初めにかけて活動していた森田恒友という人物がいた。
最近ではWikipediaにも掲載されていて、私も細かな情報はそこで知ることも多いくらい。
埼玉県のホームページでも紹介されている(偉人というのはどうだろう?)。

埼玉ゆかりの偉人/検索結果(詳細)/森田 恒友

私が美術関連の道に進むというと、今は亡き祖父がとても喜んだのを鮮明に覚えている。
恒友さんは東京美術学校(現:東京芸術大学) 西洋画科を首席で卒業後、ヨーロッパに渡り絵を描いている。
その絵は国立近代美術館にも所蔵されていて、Webでの所蔵作品検索でも見ることができるのでご紹介。

独立行政法人国立美術館
所蔵作品総合目録検索システム
検索: 森田 恒友

例)ルーヴル風景 http://search.artmuseums.go.jp/records.php?sakuhin=11089

なかなかこの時代に絵を描くのは恵まれた環境もあったのだろうが、素描集をみるとデッサンはなかなか上手く思える。
渡欧したのは、大正3年(1914年)4月。33歳。

森田恒友 飯田橋

「飯田橋付近 掘削工事」
明治当時、まだ街は整備がされていない様子だが、電気は通っているのでこれでも近代化が進んでいるということか。

t02
昭和4年(1929年)には、 帝国美術学校(現、武蔵野美術大学、多摩美術大学)の創立に当たり、洋画科主任教授となったようだが、私の受験時に何の恩恵もなかったのは残念・・ (笑)

私が恒友さんのように実績を残せる人間かどうかは、未だ分からないがコツコツ精進していきます。